ナセナル台湾記

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【紀行】甲州街道をゆく(3日目) 〜 府中 → 八王子(高尾駅) 〜

 

 

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甲州街道3日目 〜 府中 → 八王子(高尾駅) 〜

 
距離:約23km
時間:約4時間45分
歩数:約28,000歩
宿場:府中宿、日野宿、八王子宿

 

 
今回は、前回のゴール地点である府中から、八王子(高尾駅)までの旅となります。
またもや約5時間の長旅となりましたが、前回と同じく平坦な道で、それほどきつい旅ではありませんでした。
今回も非常に天気が良かったため、小まめな休憩と水分補給は欠かせませんでした。
さて、では早速府中駅を出たところからスタートしたいと思います!
 
 
駅を直進すると大通り229号線に出ます。ここが旧甲州街道です。
右手に折れて進んでいくと、すぐ左手に何やら大きな神社。
ここは大国魂神社と言って、見えているのは境内への入口です。5月初めにはお祭りも催されているようです。
 

 
 
 
番場宿碑をすぎると20号線にぶつかりますが、そのまま20号線を進まず、国立インター入口の交差点をそのまま直進し、256号線に入ります。
ちなみに、この日は20号線より256号線がメインになります。
 

 
 
 
谷保天満宮や矢川駅入口をまっすぐ通り過ぎます。
ちなみに、谷保(やほ)は「野暮(やぼ)」の語源で、天満宮にある像が原因だそうですよ。
 

 
 
 
日野橋の交差点を左折せず、ニコニコレンタカーと陽だまり迎賓館の間の道に入って行きます。
こんな道標に沿って左に進み、信号を渡って川の方に向かいます。
 

 
 
 
日野の渡し碑を通り過ぎます。
この渡しは1684年に建造され、1926年までのその役目を終えたそうです。
 

 
 
 
河川敷を歩くのはなんとも気持ちいいですね。
目の前に見えている橋を渡ると、いよいよ新撰組で有名な日野宿です。
 

 
 
 
市民の森スポーツ公園を右手に進みますと、再び256号線にぶつかります。
そこを右折すると、いよいよ日野宿の中心街だったところが見えてきます。
日野宿本陣は、その姿が街中にポツンと昔のまま残っています。
この場所が天然理心流道場の跡地であり、かつてこの場所で近藤勇土方歳三沖田総司らが輩出されたのです。
 

 
 
 
小さな分岐と日野駅を経て、大坂上通りを登って行きます。この辺りには実践女子大学があり、女子校生が多かったイメージです。
登りきりまして、右手に日野自動車本社、左手にコニカミノルタを眺めながら平坦な道を進んでいきます。
ここでついに「大月」の表示を発見!ようやく山梨県が近づいてきたような気がしますね。
そして、ついに256号線から20号線へと戻ります。
 

 
 
 
と、山梨に入る前に八王子宿に到着です。
戊辰戦争の際、新撰組がこの地を通る時、千人同心たちからは良い顔をされなかったそうです。
千人同心とは、徳川家康がこの辺りに甲州街道の抑えとして武田軍の旧臣たちを配置したのが始まりだそうで、徳川直参の意識が強く、新撰組たちを田舎者と蔑んでいたようです。
 

 
 
 
竹の鼻の一里塚跡がある福永稲荷の日陰で小休止。境内には松尾芭蕉の句碑もありました。
八光山権五郎という江戸中期に活躍した力士の像もあります。
 

 
 
 
八王子の大通りを進んでいき、追分町の分岐を斜め左に進みます。(20号線の道なり)
ちなみに、この交差点に警察署があるのですが、そこを陣馬街道沿いに少し進むと千人同心の碑があります。
山梨県民としては、武田家から成る千人同心はいづれ勉強したいですね。
 

 
 
 
残りは、銀杏並木で涼みながら西八王子駅、高尾駅までの道をほぼ直進です。(途中2度細い道に入ります。)
ちょっと気になったのは、多摩御陵武蔵御陵という場所です。前者は大正天皇、後者は昭和天皇の御陵だそうです。八王子にあるんですね。
 

 
 
 
JR高尾駅に到着しました!
前回と同じく、23kmほどの距離があり、アスファルトを歩くのはなかなか足に負担がかかるなと感じました。
 
今回の見どころは、特に日野宿手前の河川敷と、日野宿本陣でした。
日野には他にも新撰組関連の建物がたくさんあるので、いつか巡ってみたいです。
 
次の4日目は、高尾駅から駒木野宿に入り、小仏峠の登山をして、相模湖駅まで向かいます。
 

 

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