ナセナル台湾記

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【静岡】日本を本気で変えようとした男・吉田松陰を巡る旅〜下田編〜

 

 
吉田松陰といえば、長州藩の萩出身にして、
 
松下村塾において久坂玄瑞、吉田稔麿、そして高杉晋作らを育てた傑物です。
 
その他にも、桂小五郎、伊藤博文、山縣有朋、品川弥二郎等、
 
明治を代表する人物も吉田松陰が大いに関係しているそうです。
 
 
その思想は面白く、常人では考えないようなことをあっさりやってしまいます。
 
遊学のため友人(宮部鼎蔵ら)と東北に行くはずが、
 
藩から通行手形が交付されず、友との約束の日にちを守るために脱藩。
 
そして、今回ご紹介する下田での一件です。(後述)
 
 
日本を思って行動を起こした男・吉田松陰。
 
そんな彼の縁の地静岡県下田にいくつかあります。
 
今回は、以前巡ったそれらの場所を全てご紹介したいと思います。
 
※下田駅周辺は徒歩で3時間(約9km)、蓮台寺周辺は30分(約2km)でした。ご参考までに。
 
 
 

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今回巡った場所のGoogleMapの地図です。
 
よかったらこちらも参考にしてくださいね。
 
 
 

吉田松陰と下田

 

 
吉田松陰は、弟子の金子重輔と共に下田に行きます。
 
その目的は、当時日本で話題だった黒船を見るため。
 
松蔭は、西洋の兵学を学ばなければ、やがて中国(清)のようにたちまち侵略されると危惧し、
 
西洋兵学を学ぶべく、ペリーの乗っている船に二人で密航。
 
しかしそれは江戸時代の当時は禁忌でした。
 
陸に返された松蔭は奉行所に自首をして幕府に囚われの身となるのでした。
(この時、師の佐久間象山も関係者として投獄されてしまいます。)
 
 

1.吉田松陰拘禁之跡(長命寺跡地)

 

 
吉田松陰の密航が失敗に終わり、拘禁されたのが長命寺でした。
 
その長命寺があった跡地です。
 
現在は、下田市教育委員会の庁舎が建っています。
 
この後に萩に送られ幽閉され、松下村塾を開いて若者たちを人材を育成しました。
 
 
 

2.吉田松陰像

 

 
松蔭の小径を通り、柿崎という地区の三島神社内に設置されている像です。
 
現在の東京藝術大学を出た保田龍門という方が製作し、昭和17年に完成したそうです。
 
銅像には痛みが目立ちました。
 

 
 

3.銅像「踏海の朝」

 

 
三島神社から道路を挟んでまもなく。
 
柿崎弁天島の公園の先には、二人の銅像があります。
 
当時柿崎弁天島に身を隠していた二人は、
 
ある夜にペリーの乗る米艦ポーハタン号に小舟で乗り付けました。
 
ペリーには穏やかに拒絶されましたが、
 
国を想う若者たちを頼もしく思ったのではないでしょうか。
 
 
 

4.吉田松陰「至誠通天」顕彰碑

 

 
銅像からは海岸線沿いを歩いていきます。
 
GoogleMap上に道はないのですが、
 
ハリスの小径を海岸沿いに歩いていくと石碑が見えてきます。
 
参議院議長や埼玉県知事を歴任された土屋義彦さんが建てたそうです。
 
 
 

5.吉田松陰上陸の碑

 

 
顕彰碑からさらに歩いていくと、浄化センター敷地内に入ります。
 
敷地内を越えて、ちょうどセンターの入口付近にあります。
 
ペリーに拒絶された後、二人はここの陸地から上がったそうです。
 
何が書かれているかわからない小さな石碑がありますが、
 
二人はこの足で自首したのか、切腹も考えたのか、、、
 
色々と思いを巡らせてしまいますね。
 
 

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6.吉田松陰寓寄処

 

 
上陸の碑からは歩きかローカルバスで伊豆急下田駅まで戻ります。
 
寓寄処には、駅からはバスか電車で行けます。
 
バスが出ていますが、1時間に1本もないようで、
 
わたしはちょうど出る間際だった電車で向かうことにしました。
 
たったの1駅で、寓寄処までは蓮台寺駅から徒歩20分ほどです。
 
 
なんとこちらは入館料100円と激安です。
 
当時松蔭は皮膚病を患っており、身を寄せていた医師の家がこちらだそうです。
 
当時の浴槽や松蔭が使ったとされる机や硯箱等が残されています。
 
 
ちなみに、蓮台寺駅付近には、ホームセンター以外はほぼお店はないため、
 
お土産を買うなら下田駅で買っていった方がよいでしょう。
 
※新型コロナの影響で、令和3年8月8日〜9月30日まで臨時休館だそうです。
 
 
 

まとめ

 
下田市は、伊豆半島の一番先にあるのですが、
 
江戸時代の人たちはここまでどのようにして来たのでしょうか。
 
舟で行くにも遠い場所なのですが、そうまでしてでも、
 
黒船を見て、西洋の技術を知り、日本を変えようとしたのが吉田松陰でした。
 
当時の人々の思いを感じながら史跡を巡ると、きっと面白いかもしれません。
 
 

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